黒川智生のアメリカSPA業態研究
-1995ワシントン編 vol.1-

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※1995年1月 ワシントン アーリントン墓地にて。
ケネディ元大統領が眠る地を訪ねた。ここがアメリカSPAブランド研究の原点。

Withコロナ時代に入り、ファッションを巡る環境も更に激変しました。その中で、お客様の生活方式はどうなったのか?リアル店舗は今後どうなるのか?何を目安にするのが良いのか?模索が続いています。

ただ、この世界に関して言えば、商売の前提が大きく変わったのは今回が初めてではありません。

例えば、
①商店街の勢いが失われ、商圏が郊外へ広がった時(1990年代始め~)
②SPA業態が勃興し始め、卸型ブランドが縮小に入った時(1990年代半ば~)
③ECが生まれ、商売の空中戦で商圏が広がる時(2000年代始め~)
④そごう破綻から百貨店再編(2000年代始め~)
⑤リーマンショックから、市場縮小が顕著になった時(2008年~)
などなど、数々の激変があったわけです。

その中でも、卸型ブランドの営業であった筆者にとっては、①と②は、担当者として苦悩した内容で、また、「日本以外に、現状を打破する知恵は無いか?」と模索したことを覚えています。
パパママストアから、ショッピングモール内出店などの店舗面積拡大も必然となり、MDは?VMDは?と学ぶべきことが多かったのです。

こうした内容については「日本におけるチェーンストアの父」と言われる渥美俊一氏率いる、ベガサスクラブ(日本リテイリングセンター)から多くの書籍が出版され、文字情報を得ていました。特に『商品構成』ではその原理原則を徹底して記述してあり、多くの疑問に答えてくれました。
もちろん、ここで書かれているダイエーやイトーヨーカ堂などに代表されるスーパー、そこに出店する専門店と、筆者が扱う商材とは価格帯や購買頻度が異なるため、全てが適用可能ではありませんでしたが、エッセンスは有益でした。

その後、「理論のみならず、実際にその現実を見たい!」と思い立ち、アメリカのワシントンとニューヨークを訪れたのは、1995年1月でした。
この時は30歳。アメリカ行きは自分にとって初めてでしたが、チェーンストア経営の大先輩である実父が都合をつけて同行してくれたことは、心強く、かつ、多くの参考視点をもらうことができました。

ワシントンに着き(その日は曇りでした)、冒頭の写真のように、アーリントン墓地でケネディ元大統領が眠る地を訪れました。その数年前から所謂「ケネディの謎」にとりつかれ、これも実際に見たいと思い、実現したわけです。

黙とうの後、彼の有名な言葉、
「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.」に触れ、そのリーダーシップの神髄を感じた次第です。

初めて訪れた都市型ショッピングセンターは、アーリントン墓地やペンタゴンに近い「Fashion Centre at Pentagon City」でした。
1995年当時、インターネットでの情報も限られたいましたので、流通関係の視察ツアーで訪れる場所やその記録などの資料をたどり、ここを発見しました。会社のファッション情報室に入り浸り、資料収集したのを思い出します。

上記は、当時のフロアマップです。ここは、ノードストロームとメーシーズが核テナントとして入る2核1モールで、160を超える専門店群が紹介されています。地上3階、地下1階の構造で、地下にはフードコートがあり、Metro(地下鉄)と直結しています。

こちらですが、何もかもが「キレイで快適で」というのが第一印象でした。日本では卸ブランドで地方を担当していましたので、郊外立地のジャスコ、西友、ニチイなどを見る機会も多かったですが、立地や管理手法が違うと言えばそれまでですが、全てがあか抜けて見えました。
全体感を得つつ、個別の店舗を見てゆくのですが、更に驚かさせるわけです。次回から数回は当時の最有力カンパニーである「ザ・リミテッド」を中心に、SPA業態の源流をたどってゆきたいと思います。

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